教育を商売にすることと、子どもを商売道具にすることは違う。
2026/10/23
私は、教育を商売にすること自体が悪いとは思っていない。
塾だって会社だ。利益がなければ経営は続かないし、講師に適切な給料を支払うこともできない。教育への情熱で家賃が払えるなら助かるが、今のところ大家さんからそういう案内は来ていない。
だから、授業に料金をつけることにも、塾の良さを伝えることにも、後ろめたさはない。
ただ、教育を売ることと、子どもの人生を自分たちの看板に使うことは、分けて考えたい。
「うちはやらない」で済む話もある
合宿をしない塾があってもいい。長時間の授業をしない塾があってもいい。逆に、それらに価値を見いだす塾があってもいいはずだ。
私が納得できないのは、自分たちの教育の良さを伝えるために、ほかの教育のやり方を否定することだ。
「うちはやらない」という方針と、「やっているところは間違っている」という評価は違う。自分の店の料理をおいしいと言うために、隣の店の皿をひっくり返す必要はない。
私は、目の前の子に何が必要かを考えたい。合格に必要かという観点も大切だが、それだけで教育の価値が決まるとは思わない。
ある方法を使わなくても合格できる。それは、その方法に教育的な価値がないことの証明にはならない。
合格だけを基準にするなら、遠足も、文化祭も、部活も、ずいぶん説明しにくくなる。人間を育てる話をしていたはずが、気づいたら最短経路の検索になっていないか。
もちろん、合宿をする側にも説明責任はある。費用は妥当か。安全と睡眠は守れているか。何を経験してほしいのか。参加しない子に不利益はないか。「熱い指導です」の一言で、そのあたりを煙に巻くのも違う。
私は、自分たちの取り組みの価値を説明したい。他人の取り組みを悪者にすることで、説明を省略したくない。
うちは、合格実績を出さない
いちゼミは、合格実績を出さない。
志望校に受かってほしくないからではない。受かってほしいに決まっている。そのために授業をするし、課題も出す。必要なら厳しい話もする。
ただ、どこに受かっても、思うような結果にならなくても、みんないちゼミの生徒だからだ。
難関校に受かった子だけが、うちの生徒なのではない。広告に載せやすい結果を出した子だけが、先生にとって大切な子なのでもない。
合格者数は、子どもの人生の一場面を数えたものだ。出荷状況じゃない。
規格をそろえて、学校名のラベルを貼って、送り出したら仕事が終わる。私は、そういう仕事がしたくて塾にいるわけではない。
合格通知は、本人が勉強して、本人が試験を受けて、本人がつかんだものだ。先生はうれしくても、表彰台の真ん中には立たなくていい。
もちろん、実績を公表する塾がすべて子どもを数字で見ている、と言うつもりもない。それでは、ほかのやり方を否定して自分を正当化する話に戻ってしまう。
うちは出さない。その理由は、どの子も同じように、うちの生徒だから。それで十分だと思っている。
成績は見る。でも、人間の値札にはしない
私は、成績を見ない教育がしたいわけではない。偏差値も評定も見る。授業の難度に応じて、参加条件を設けることもある。
ただ、「今、この授業に参加できるか」と「この子に価値があるか」は、まったく別の話だ。
問題が解けないなら、何が分かっていないのかを考える。勉強が続かないなら、予定の立て方なのか、課題の難しさなのか、生活の問題なのかを確認する。「やる気がない」で片づければ、大人の仕事はずいぶん楽になる。そのぶん、子どもの問題は何も解決しない。
昨日まで質問できなかった子が、今日は自分から聞けた。逃げていた問題を、間違えながら最後まで解いた。そういう変化にも目を向けたい。広告の大見出しにはしにくいが、教室で見落としていいことではない。
もちろん、頑張っているから結果は出なくていい、と言いたいのでもない。結果が出ていないなら、教え方や取り組み方を見直す。数字を大事にすることと、数字だけで人を扱うことを、混ぜたくないのだ。
ここは、ホームだから
中学の受験が終わっても、高等部へ進んで通い続けてくれる子がいる。大学生になって、今度はアルバイトの講師として残ってくれる子もいる。
教わっていた側が、教える側になる。以前は生徒として座っていた教室で、後輩の勉強を見るようになる。
私は、そうやって関係が続いていくことが、うれしい。
「ここは自分の居場所だ」と思ってくれているから、残ってくれるのだと私は思っている。
ここは、ホームだから。
成績が良いときだけ歓迎される場所にはしたくない。うまくいかないときに、顔を出しづらくなる場所にもしたくない。
だからといって、何もしなくていい場所にするつもりもない。家でも、やるべきことをやっていなければ叱られる。塾ならなおさら、勉強には向き合ってもらう。
「その取り組み方では足りない」とは言う。でも、それと「お前はここにいてはいけない」は違う。厳しいことを言うときほど、そこを混ぜてはいけないと思う。
合格したら祝う。思うようにいかなかったら、その先を一緒に考える。高校へ進んでも、大学へ進んでも、その子の人生は続く。塾にいた時間も、合格発表の日に全部終わるわけではない。
私は、塾を続けるために利益を出したい。講師にも、きちんと報われてほしい。そのうえで、子どもを、うちの看板を立派にするための材料にはしたくない。
教育を商売にすることと、子どもを商売道具にすることは違う。
うちは、合格実績を出さない。どの子も、うちの生徒だから。
そして、ここをホームだと思ってくれる子がいる。そのことを、私は大事にしたい。